今回は猿がどうやっても人間に進化できないことと、人間がなぜダイエットに励まなければならないのかを説明したいと思います。
どうも、孤高のスタイリッシュB型ブロガーみやび☆りゅうです。
今回の記事はそんなにスタイリッシュではありません。
うちの息子が1歳になりました。その息子は最近とにかく立ちたがって、立てば立ったでつたい歩きをして行動範囲を拡げようとしています。そして立ち上がる時には、とにかく物を持ったまま立ち上がろうとするので、危なっかしく見えているんですが意外と転んだりせずちゃんと自分でなんとかできてるんです。
で、この息子の行動を見ていて思ったのが、なぜ人間は立ったのかということ。しかも物を持ちながら立とうとするんです。
どういう進化の過程で人間だけが二足歩行になったのか、今まで推論した説は色々ありましたがどれも「本当かな?」と思えて、私にはどうもしっくりこなかったんですが、最近読んだこの本で一気につながりました。
「親指はなぜ太いのかー直立二足歩行の起源に迫る」
これは私が久しぶりに最後まで興味深く読んだ本で、いろいろな疑問を解決してくれる本でした。この本を読んで私が気づいたのは、今生きている猿たちは何万年経っても人間に進化することはないということ。
進化という言葉自体が、その生い立ちを分かりづらくしているのではないかと思いました。
ちなみに「親指はなぜ太いのかー直立二足歩行の起源に迫る」は島泰三さんという霊長類研究をされている方の著書で、霊長類の手の形、口や歯の形を比較することから、元々人間は何を食べていたのかという推論を進め、それが二足歩行する起源に繋がるという内容です。 私の少ない知識でも理解できる内容で、推論とはいえ「確かにそうかも知れない」と思わず納得させられる論理的な内容でした。
以下本のネタバレというか内容には触れますが、文芸作品ではないため私も内容を知った上で読んでも十分楽しめた上に、そこからなぜ現代の人間は病気に悩まされ、ダイエットに励む必要があるのかということが見えてきましたので、ここにご紹介します。
進化(淘汰)はニッチを埋めることから起こる
今私たちが暮らしている世界にいる動物たち。以前はもっと数多くの種類の動物が発生し、絶滅して行っています。
動物の数が増えれば、当然生存を賭けた競争が行われます。それは食べ物にまつわる競争。種の違う動物間においても、同種の動物間においても、より食べ物を摂る能力に長けた動物が生き延びる確率が増えるということです。
食べ物を摂るというと、運動能力に目が行くかも知れませんがそうではありません。
その種の動物が移動可能な範囲で、そこにある有機物から生存が可能な必要最低限の栄養素を獲ることができる能力があるかどうかということです。
その生存可能な主食の摂取にまつわる方法がニッチかどうかが生存の可能性と呼べるでしょう。
例えばコアラ。ユーカリの葉には毒性のある青酸が含まれており、それを主食とするには他の動物にはリスクが伴います。しかし、コアラはこの青酸に耐性があり、硬いユーカリの葉の食物繊維を長い盲腸に住む細菌を使ってそのセルロースを分解し吸収することでエネルギーを吸収できるようにしています。その代わり葉っぱから得られるカロリーはごくわずかのため、カロリーの消費をしないようコアラは1日の大半を木の上で動かずに暮らしています。
いきなりここだけ見てしまうと、コアラは神がデザインした特殊な動物だと考えてしまいがちですが、逆にこう考えて見てはどうでしょう。
「数多くのコアラに似ているが主食や性質の違う動物がいたが、最終的にコアラだけが生き残る条件を備えていた」と。
生き残りの条件としては下記が挙げられます。
・食べ物の競合がない。
・食べ物から生存に必要な栄養が得られる。
・生息場所に捕食者が少ない。
生物の種が爆発的に増えた時には、コアラに似た多くの種がいたが生存のための条件に合わない種がどんどんと減って行き、たまたま青酸に耐性のある個体がその条件下で発生して何代も近い特性を持った個体が繁殖を続けた結果、現在のコアラになったということです。
また進化のよく挙げられる例としてキリンがありますが、キリンの首がなぜ長くなったのかということで、高い木の枝の葉を食べるために長くなったという説明をされることがあります。これは、明らかな誤謬、間違いです。
キリンは高い枝の葉を食べるために生きているのではありません。
キリンは高い枝の葉を食べられるから生き残ったのです。
結局、コアラもキリンも同様に食べられない仲間は淘汰されたということです。
要は、その食物としての需要がほとんどない食物を食べられる種こそがニッチを得た種族であり、それこそが生存への条件に近づくということです。
つまり「進化」という言葉は適当ではなく、適者生存の結果「淘汰」されたと言うべきなのでしょう。今いる動物は特定の目的で機能が進化したというよりも、特定の食物を継続的に得ることで淘汰された結果今も生き延びているということです。
では、人間はどうやってその食物のニッチを得て、生き延び淘汰され今の姿になったのでしょう。
人間の主食はすごく意外な物だったのでは?
「親指はなぜ太いのかー直立二足歩行の起源に迫る」を読んで、すごく興味深かったのは、霊長類の手の形や歯顎の形を詳細に調べ、その主食を特定するところでした。現在生き残っている霊長類は歯、顎や手の形、特に親指の大きさや向きなどがそれぞれ異なり、人間の歯、親指の組み合わせは異質なものでした。
詳細は本の内容をお読みいただくとして、強く気になったのが人間が何を主食として今の身体の構造になったのかということ。
先ほども述べたように、今いる動物は特定の目的で機能が進化したというよりも、特定の食物を継続的に得ることで淘汰された結果なのであれば、ヒトは他の霊長類などとは異なる主食を得ていたからこそ今も生き延びていると考えられます。
そしてこの本の中で語られる内容ですが……、ここからは少しネタバレになるのでもし気にする方は本をお読みになってから進んでください。
ということで、この本の中で語られるヒトの主食に関する事実はすごく意外でした。
が、人間が二足歩行することで生き延びたということであるとすれば、これほど理に適った推論は他にないと今では思っています。 様々な形態、様々な性格、様々な特徴を持った霊長類が存在した過去から、その性質なりの主食を得て生き延び交配し、より主食に対応して淘汰されていったヒトという猿の種の主食は、草でも肉でも、はたまた果実でもナッツでもなく、「骨」ではなかったのかということ。
それも肉食動物が食べることができずに置き去りになった死骸の骨。
人間の歯のエナメル質は他の霊長類に比べかなりの厚みがあり、またその硬度は水晶並みの硬さで、切歯、犬歯が発達していないことから、この事実は相当硬いものをよく噛んで砕いて食べていたということが推測されます。
しかし、骨そのものを噛み砕いて食べることは普通の動物には文字通りハード。人間に出来るとも思えませんが、ここで活躍するのが手。
人間が道具を使うようになったきっかけというのは様々推論がありますが、先ほどの話に立ち返って見ましょう。
「道具を使うように進化をしたのではなく、道具を使えたから生き延びた」のだと。
ヒトはその手で石や骨などを持ち歩き、食べる時には骨を道具で砕いて小さくしてから口に入れ、その水晶のように硬い臼歯ですりつぶして食べていたのではないか。だからヒトの親指は物をしっかりと握れるように他の4本指と対向していて、直径5、6cmの物を握るのに最適な形状で、なおかつ力を入れた時に支えられるよう太い。確かに人間の手はある程度の大きさの物を握った時にしっくりするように出来ています。
しかし骨を食べていたという推論を聞いて、骨に栄養があるのか疑問に思われるかも知れません。それは当然の疑問だと思います。
ここで富山の食品研究機関の調べで、たんぱく質やカルシウムなどカロリーと共に十分に含まれているという資料が本書では挙げられていました。もちろん骨髄は血を生産する部分なので栄養豊富なのは分かりますが、骨自体も相当の栄養を含んでいるようです。
これでおおよそ材料は揃いました。
なぜヒトが移動には不利な二足歩行をしているのに現代まで生き延びているのか。
死骸の骨を食べるのであれば、チーターのように高速に移動して狩りをする能力は必要なく、他の肉食動物には食べる能力がないため残った骨を探して歩ける程度の能力で充分です。そして、ただ移動するのではダメです。道具や骨を持った状態で移動し、必要な時に砕いて食物と出来るような能力。
つまり道具を運ぶために手を使い、移動は2本の足だけで行うこと。二足歩行の能力があったからこそ、また道具を使える手の構造があったからこそ、「骨」という他の動物と競合しない食物を得ることが出来て生き延びて現代の人間となったのではないかということです。これはもちろん淘汰の結果であり、様々な形態や性質を持った個体の中で生き残った者同士が交配した結果としてより形態と性質の方向が特化し、食物のニッチを得られたことで現代まで生き延びた淘汰の結果であったということです。
ここまでが親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る (中公新書)を読んで得た知見です。
うちの1歳の息子が物を持ちながら立ちたがる理由が、そこから見当がつくような気がしました。人間そもそものDNAに物を持って立つという動作が生存のためのプログラムとして残っているのではないかと。
火がメタボや鬱の原因なのでは?
人間が骨というニッチな主食を得られたことで、世の生態系が大きく変わったかというと、そうではないと思います。
食料が少ない幾度かの寒冷期を経て、生存に必要な食物を得られた生物だけが現代まで生き延びて来た中で、人間だけが主食に大変動がありました。
その原因が「火」です。
盲腸の短い人間には他にいる霊長類のように食物繊維を分解して栄養にする能力はないため食べられるものは他の猿より少なく、また穀物に含まれるでんぷんを生のまま消化して吸収する能力はないため、本来は穀物は人間の主食となるべきものではありません。
それを「火」が一変したのです。
でんぷんは炊くことによって人間にも消化できる炭水化物となるのです。それは道具を器用に使える手を持った人間が自由に火を起こすことが出来るようになったことで、食べてもカロリーとして活かせなかった植物が、栽培にも適していたことから一気に主食として扱われ始めました。
本来骨を中心に食べていた人間が、いきなり糖質の多い炭水化物を主食とするようになったことで、起こったであろう変化は私には容易に想像がつきました。
- 糖質の摂取の増加による体脂肪の増加、糖尿病などの現代病の発生。
- 硬い物から柔らかい物へ主食が変わったことによる、臼歯の退化。つまり親知らずの発生。
- 糖質により脳への栄養が過多となり、生物の本質である消化器官と発達しすぎた脳幹との間で優位性が逆転し、社会的な暮らしも要因となって本来動物として有利な性質が脳や社会性によって歪められる。
穀物を主食としたことで人口は爆発的に増えました。
ただ本来であれば身体を構成する要素として必要なアミノ酸であるたんぱく質を多く含む食品を摂るべきところ、脳の幸福感を得たい欲求が身体本来の欲求を追い越し糖質を優先し始めたために現代人は常にダイエットを気にしなければいけないような生活になってしまったと言えるのではないでしょうか。
ヒトは、主食を置き換えたために今急速な退化をしているとも言えます。
【追記:参考までに】
最近オステオカルシンという骨の中に含まれるたんぱく質が注目されています。
NHKのガッテンでも取り上げらていた内容ですが、オステオカルシンは骨ホルモンとも呼ばれていて、臓器の働きを活性化する効果があると言われています。
以下オステオカルシンと骨由来のホルモンで発生する効果です。
脳: 神経細胞の結合を維持させ、記憶や認知機能を改善させる。
肝臓: 肝細胞の代謝を向上させ、肝機能を向上させると考えられる。
心臓: 動脈硬化を防ぐと考えられる。
腸: 小腸で働き、糖などの栄養吸収を促進する。
精巣: 男性ホルモンを増やし、生殖能力を高めると考えられる。
皮膚: 骨芽細胞が作るコラーゲンは、皮膚組織と同じ種類。シワの数と相関が高いというデータがある。
腎臓: 骨が作る「FGF23」というホルモンが、腎機能を向上。
ガッテンの番組内では九州大学大学院 歯学研究院長 平田雅人教授も骨由来の成分が腸から吸収されて効果を得られるというのが意外な発見であったと述べています。
オステオカルシンのインスリン分泌にインクレチンが働くことを発見 | 特集記事 | NatureJapanJobs | Nature Research
まさに人間が本来の食生活をしたからこそ、臓器が本来の機能を取り戻したとも言えないでしょうか。
最後に
今回の記事は「親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る (中公新書)」を読んだ上での私の個人的な推論を多分に含んでいるため、無知が故に間違っている部分もあるかも知れませんのでご容赦ください。
先日、私は家で参鶏湯(サムゲタン)のレトルトパックを夕食に食べたのですが、その中に入っていた丸鶏は、圧力鍋で煮込まれたからか骨の形はしっかりしているものの、歯で噛めば容易に食べられるほど柔らかくなっていました。
ところどころ硬い所はあり、それを臼歯でゴリゴリとすりつぶしていると、今回読んだ本の内容が頭によぎり、今回の記事を書くきっかけとなりました。
自分の気のせいかも知れませんが、その骨を食べた翌日は妙に歯の表面がしっかりしたかのような感覚があり、現代人はその生い立ちと遠く離れてしまった動物なのではないかと身体に訴えかけられているような気さえしました。
我々が今、ここに存在しているということが淘汰された結果であるという事実。適者生存から、本来食べられなかった物を食べられるようになったことで生まれた歪みこそが、地球上で起こっている人間由来の問題の原点なのかも知れません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
他にもこんな記事を書いていますので、よろしければお読みください。