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みやび☆りゅうの「わたくしスタイル」

エンタメ系Webライター兼、新米パパの雅龍(みやび☆りゅう)がお届けする、様々なこと。

保育園問題の背景から聴こえる、日本衰退への足音

オピニオン ニュース

千葉県市川市で私立保育園の新設が断念されたとのニュースが話題だ。

「保育園落ちた日本死ね」からの世間の風潮がありながら、この新設中止の話題はかなり批判的に捉えられて仕方がないものだろう。 

 

www3.nhk.or.jp

 

「保育園落ちた日本死ね」は、その増田のブログを目にした時からその文章に漂う力を感じ、私も問題視してシェアした口だ。

どう考えても日本がこれから有能な人材を生かして発展して行くビジョンが見えない状況だと思われたからだ。

それは今も変わらない。

その上で今回の保育園新設断念の話題で、さらに無理だと思ったどころか、すでに衰退への道を進んでしまっていたことに改めて気付かされた。

 

本題に入る前に、他の方のご意見やデータなども興味深いものがあったのでリンクさせていただこう。
お時間があればご覧ください。

 

dabunmaker.hatenablog.com

 

 

データえっせい: 保育所在所率と虐待相談率の相関

 

 

 

まず、今回の発端となった「保育園落ちた日本死ね!!」はお読みになられただろうか。

anond.hatelabo.jp

 

この文章を読んで、これから当事者になるかも知れない新米パパの私も人ごとではない気がした。

それ以上に、待機児童問題は日本という国の大きな問題であると初めて気がついた。

子供を産むという行為に、デメリットしか感じない若者が増えて当然の内容だ。

そしてそれは産む側ではなく、雇用をする経営者にとっても女性を雇用することがデメリットでしかないという旧態依然とした事実。

私も愕然とした。

戦後の復興から高度経済成長、バブルの時代から失われた20年を経た日本。
まだまだバブルとまでは行かなくても経済的に上向きになることもあるだろうと楽観的に見ていたところもあった。

だが、今回の出来事をきっかけに、様々な情報がわかってくるにつれ、今後日本は衰退の一途を辿るのではないかと思うようになった。

 

今日は笑いや、くすぐりはなく、端的に論を進めたいと思う。

まず、日本は驚異的な復興を遂げたその経験を持った者たちが経営者を退き新たな世代にバトンタッチした。
復興した原動力となった数々の熱意は、その新たな経営者たちにはおそらくない。
上司の顔色を伺って間違いや失敗を恐れながらポストを得た者が多いのではと推測される。
それは日本の教育制度がそもそも、失敗を許さない制度だからだ。
学力をテストで計り、入試でそれが大きく試される。
大手企業に入社する人材は概ね失敗をしなかった人材だ。
当然、自分の実力を測る物差しは上司の評価ということになるであろう。
何もない原野を切り開く勇気を持って進んだ先達の意気込みなど、伝承することは難しい。


また年々経済成長する中で様々な制度が制定され、それが今日まで国や地方自治体によって運用されてきた。
それも社会情勢の変化に伴って微調整されることは少なく、制度には旧態依然としたものが未だに残っている。

女性の社会進出という部分は特に大きい。

よく少子高齢化の要因として女性の社会進出を挙げる方もいるが、それは一義的な見方で社会進出しても子供を設け、育て、その後再度社会に戻れる制度の整備が遅れていることが原因なのだ。

待機児童が解消することは、まずその第一歩であるとともに、重要なファクターだ。

どこかの議員が「保育所増やすより育児チケットのが効果ある。保育所増やすとなぜか待機児童が増えるから」とバカな論を唱えていたが、それは潜在的な保育所への要望、働きたいと願っている女性の数のカウント方法が誤っているからである。
入れる保育所がないから他の方法でしのいでいたところで、入れそうな保育所が出来れば、そこへ応募して晴れて待機児童としてカウントされるからだ。

実情はそうなのだ。誰もが子供が産めるなら産みたいし、働けるなら働きたいという人が多いのだ。
その中で日本は高度経済成長とバブルの、このご時世ではあり得ない体験を引きずっているために周辺整備が出来ず、今のような状態を迎えた。

 

ある意味経済の本質を見ようとしておらず、自然に浮き沈みするものだと思っていた人が大多数であったのかも知れない。

だがしかし、労働人口が減れば売るものがないし、消費人口が減れば売れないし、人の数こそが経済の根幹を支えているのだという基本事実を知らないまま過ごしてきたのであろう。

 

正直、私は教育という言葉が好きではない。

”教え育てる”という言葉には、その教育を行う側の視点しかないからだ。

結局は家庭や社会、政府にとって扱いやすい人材に教え育てるということに主眼が置かれ、その子供自身の興味を持ったことに対する学習機会を損失させ、極論を言えば型にはめているのだ。
それで世界各国の優秀なイノベーターと勝負する人材を育てることなど、かなり難しいであろう。

 

今回の保育所問題などは、行政側が都市整備計画と合わせて時間をかけて本来進めるべき内容であったのだと思う。
突発的な事象として扱い、多数決することなどもってのほかだ。
日本としても、地方としても、経済を回すためには人口を増やすことに注力するべきなのに、行政側がその素地となる保育関連へなぜもっと注力できなかったのか。
そして子供を預けることによって、より労働できる人が増え現在の人材不足への対処ができるところをないがしろにしてきた。
ビジョンを持った人の意識が末端まで到達していないのだ。

この日本という動物の末端神経が麻痺したまま成長しても、端から壊死が始まってやがて生命活動に支障をきたすようになるであろう。

地方自治体の再編によるマッサージや、少子高齢が予想される都市部の区に向けて人口を増やすリハビリが必要なのだ。

労働の場である大企業を優遇したとしても、労働する人がいなければ、それは海外に求めたりすることになるであろうし、たとえ国内で賄えたとしても、労働人口が減り続ければ風前の灯火である。

 

まだまだ書きたいのだが長くなりそうなので、最後に一言だけ。

「保育所落ちた日本死ね」の批判として「日本死ね」という言葉遣いの悪さを上げた方々こそ、この問題の本質が全く見えていない。万死に値する。

 

 

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