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みやび☆りゅうの「わたくしスタイル」

エンタメ系Webライター兼、新米パパの雅龍(みやび☆りゅう)がお届けする、様々なこと。

世間がブロガーに求めるものは「人柱」としての価値なのか?

オピニオン ライフスタイル 世の中

傘を差すのがあまり好きではありません。

どうも、孤高のB型ブロガーみやび☆りゅうです。

 

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今日はボンヤリとした思考の中で、ふと思ったことをアウトプットしてみることで自分の中で整理したいと思います。

それは、ネットで検索する人の心理。

もちろん検索をすることで情報を得るのが目的ではあるのですが、その検索をするユーザーにとって価値が高い情報というのは実際に体験、体感をした人の感想であり、

それを考えると、ブロガーが発信する内容は自分の体験や使用した感想に価値があるということになります。

 世間がブロガーに求めるものは人柱としての価値なのか?

「あの新製品、使ってみたいけど買ってから後悔しないだろうか?」

「あの健康食品、ダイエットに効くっていうけど本当に効果があるの?」

「今度あそこへ旅行に行くけど、どこで観光してどこで食事するのが良いの?」

これらの疑問、不安に対してユーザーはネット検索というアクションを起こす訳なのだが、突き詰めて考えればそれらの疑問、不安の根底にあるのは個人のリソースの保護。

つまり、お金を無駄にしたくない、時間を無駄にしたくない、という根本的な要望があるからこその疑問である。

ということは、それらのユーザーにとって価値のある内容は体験者の感想ということになる。

いかに自分自身のお金や時間を減らさず効率良く暮らしたいという要望に対して、実際にやってみたことでその個人のリソースを割くべき価値があったのか、もしくはそれを客観的に判断するための材料を提供することがブロガーが書く記事に求められる価値であると言い換えられる。

そして、ユーザーの疑問、不安が「リスクの高い行為」に対するものであれば、その体験者の談話の価値というのは非常に高いものであると言える。

 

ブロガーであれば多くの方がSEOを意識されるのではと思うが、Googleがユーザーに価値のある記事、サイトを上位表示するというロジックの根底に目指しているものはユーザー個人のリソースへの貢献という価値提供であり、最終的にはネットスラング的な意味でいう「人柱」に価値があるということではないだろうか。

 

良い時代になったと見るかどうか

ネットの検索エンジンが無い時代、そう言った情報を得ようと思ったら数多くの本、文献に当たるか、実際に体験した人を探して訊くかという選択肢しかなかった。

しかし、ここまで個人の情報発信が可能な世の中になったことで、自分の体験や知識をまとめた情報が容易に他の人の目に触れさせることができ、それを求めて検索をする人がいるという時代になった。

ネットの無かった時代に得られる情報とは比較にならないほど多くの情報がネット上にはあふれ、いろいろな事象に対して人は検索をするようになった。

 

これは人生で最も価値のあるリソースである「時間」を節約することにつながった。

さらには現実世界で調べるために使わなくてはいけなかった費用や、購入を見送ることで得られる経済的なメリットもある。

我々ブロガーは、その検索ユーザーの時間や私財に対してベネフィットを提供しているのだ。

 

現在は多くの場合ユーザー、ブロガー双方、Win-Winとまではいかなくとも近しいところにはあると思うが、今後はネット上の情報がさらに増えていくと、リテラシー意識の薄いブロガーによって真偽の曖昧な情報量が増大していき、その真偽を確かめる術が検索エンジン側になければ、やがて誤った情報によって判断するユーザーが増大していく可能性もあり、ブロガーだけでなくメディアなど情報の発信元に対する信頼をどこに置けばいいのかという問題にもなってくる。

 

最後に

起業や、退職してブロガーで生きて行くという判断をした根拠が、もし前述したブロガーの提供した情報によるものなのであれば、情報提供をした者も改めて倫理意識と照らし合わせてその情報の提供に妥当性があったのかどうか見直してみてほしい。

先人として自分の体験を発信する中で、その言葉が単純にネット的な注目を集めるためだけの煽りなら、その責任は重いのではないかと思う。

とは言え最終的な判断をしたのは本人だ。

判断を他人に委ねるようなことではなく、自分自身がいろいろ悩んで決めたのであれば致し方ない。

最終的には本人がその人生が正解だったと今後思うのであれば、それが正解である。

 

と言うか、私が思うに人生に正解も不正解もない。ただ、そこにある物である。

正解、不正解でしか物事を考えられない日本人が多いのは受験勉強症候群ではないかと思う。

会社に入って、途中で退職した者は忍耐が足らない者で×とか、精神にダメージを負った者は社会的不適合で×とか、そんな風潮で世間に動いて欲しくない。

そんな人たちも全て人間であり、それぞれの暮らしがあり、人生がある。

 

人生に正解はないし、レールもないし、ただ存在するのは生命という奇跡的に発生したものが今まで連綿と続いてきて、今この時代に出会っているということだけであり、経済という空虚な幻想で、人間個人の価値を判断して欲しくないということである。また、その空虚な幻想のために、個人の人生を狂わせることもして欲しくない。

単純な理想主義と言われてしまえばそれまでだが、「人柱」を求めるのではなく、「利益重視」にならず、皆が少しでも周囲のことに想像力を働かせて、皆で生きている社会にならないものだろうか。

 

 

 

 

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